3.11以降

2011-3-31 01:04
至る所で節電の張り紙が

3月11日に東日本を襲った地震、津波それに伴う火災や原発の事故。さらには停電や食料品の買い占め。ガソリンスタンドの長蛇の列。計画停電の混乱。放射性物質による水道水の汚染報道……。

明かりの消えた自動販売機

3月11日以降は被災地でなくても、いままでと違った日常を否応なしに生きなければならなくなってしまった。

止められたエスカレーター

しばらくはカメラも持たず、必要最低限しか出かけなくなってしまった。もちろん放射線が怖いという理由ではない。私は昔から原発反対派だが、先行は素粒子物理なのでそれなりに知識はあるから報道でパニックになるようなことは無かった。

都知事候補も地震対策をアピール

ただ、あまりにも被災地の辛姿をテレビで見すぎてしまったことと、自分に何もできないことのもどかしさと無力感に苛まされ、さらには我先にと買い占めに走る東京の人々の姿に嫌気が差してしまった。

駅の臨時時刻表

原発のニュースで人々が不安になり被曝や放射性物質漏洩による汚染を恐れているのは、正しい科学的知識がなくて見えないもの、得体の知れない物に怯えているということだ。しかし、勉強不足であっても興味がないことには恐れたりはしない。「核」を恐れるのは、死を恐れていることの現われなのだと最近は思う。

駅ビルも夕方には閉店してしまう

東京は停電で暗くなっているのではなく、死の意識した人たちの不安で暗くなっているのだろうと気づいた。

納豆は手に入らない食料品の一つ

ようやく最近になって写真撮影を再開した。日常を撮影してもどうしても震災以降の光景を避けられない。ならば、いまさら遅いかもしれないだけど、少しおかしくなっている街を記録しておくことにした。

看板の消えたコンビニに募金の幟

極端に節電に走る商店と、過剰な自粛ムード。でもいずれは克服して元に戻ってしまうのだろう。その時には人は、死の恐怖の片鱗も忘れてしまうのだ。いつまでも死ななくなったわけではないのに。

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