「W・ユージン・スミスの写真」展 in 砺波市美術館

2009-8-22 22:00

砺波市美術館で開催中の、「W・ユージン・スミスの写真」展を観覧しました。会期末に迫った土曜日の昼時でしたが、(砺波市美術館にしては)なかなか入館者が多かったです。

砺波市美術館で8月30日まで開催中のW・ユージン・スミスの写真展

W・ユージン・スミスは、写真か集団マグナムにも所属したフォト・ジャーナリスト。18歳の時からプロの写真家を志し、『NewsWeek』や『LIFE』誌などに写真を提供。第二次世界大戦の従軍カメラマンとしてサイパン・硫黄島・沖縄で撮影した写真が高く評価されています。また晩年は日本で水俣病患者の原告団とチッソの対立をテーマに撮影を続けたことでも知られています。

その W・ユージン・スミス没後、妻のアイリーン・美緒子・スミスの所有していたコレクションが京都国立近代美術館に譲られました。W・ユージン・スミス本人によるモノクロ銀塩プリントのコレクションで、最初期を除く初期から晩年までの多くの制作を含んでいます。それらの中から170点もの作品が砺波市美術館にやってきました。

会場入口のすぐ横には代表作『楽園への歩み』が掲げられていました。これはスミスが沖縄で負傷し休養していたときに、不自由な腕を使って子どもを撮った、戦後初めての作品といわれるもの。テーマ的に戦争という暗い時代から、光あふれる未来への希望を表わしていて、私もそのように見ました。写真を趣味とする人であれば、テーマに沿ったプリントの仕方という点でも、大変参考になる一枚でしょう。

第二次世界大戦の写真が続きますが、硫黄島で洞窟を爆破する写真には息を呑みました。この写真は『LIFE』の表紙を飾っています。ユージン・スミスは、戦争の現場の中でファインダー越しに見た被写体が、自分や自分の家族であったらと考えました。報道写真家としてはタブーの中立性、客観性に疑問を抱くようになったのです。それが彼の取材対象や撮影方法にも影響し、ジャーナリズムへと傾倒させるきっかけとなったのでしょう。

その後の彼の、カントリー・ドクター、スペインの村、黒人の助産婦を追った写真など、画面の切り取り方、見せ方がとても勉強になります。シャッターチャンスは同じでも、伝えたいことを明確に伝える構図というのはとても重要だと思わされました。風景・鉄道・建築・花をメイン被写体とする私からすると、異なる分野ではありますがとても大事なことだと思います。

また、フォトジャーナリズムというと環境破壊行為や苦しむ人々を強調するような表現を想像しがちですが、ピッツバーグの貨物線ヤード、水俣の工場など、発展する都市ならでは光景を、美しく切り取った写真もありました。常に反権力・反社会的というスタンスだけでは決してないのです。

中でも印象に残ったのは、シュバイツァーの写真に関してのエピソードです。実際には気むずかしく撮影を制限することさえしたシュバイツァーを、聖人君子のように扱おうとする LIFE 誌との間で対立し、その後 LIFE 誌を去ることになったそうです。また、水俣病の報道にもここまで深く関わっていたとは知らず、衝撃的な写真の数々でした。

常設展で井津建郎さんの写真も

企画展のチケットで見られる2階の常設展では、井津建郎さんのモノクロ銀塩プリント作品が展示されていました。これらは砺波市美術館が購入・所有しているもの。中間の淡い階調を見事に引き出したプリントは、ユージン・スミスの黒を強調したコントラストの強い焼きと比べ、まるで正反対の表情を見せてくれます。同じモノクロプリントでも焼き方でここまで印象が変わるのかと、奥の深さを感じました。こちらも合わせて見ると面白いでしょう。必見です。

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